Cachaça – カシャッサとは

カシャッサの種類


カシャッサは目的別により2種類のカテゴリーに分けられる。

◾︎ カシャッサ・ヂ・インドゥストリアウ
工業生産のカシャッサを意味する。
主に連続式蒸留機を使用して大量生産を目的としている。

◾︎ カシャッサ・ヂ・アルティサナウ
芸術的なカシャッサを意味する。
主に単式蒸留機を使用し小規模蒸留所でハンドメイドされる。

カシャッサの法律

カシャッサには法律がある。
「カシャッサとはブラジルで生産されたサトウキビを原料とし、その搾り汁を発酵させた、アルコール度数が38~48度の蒸留酒。また製品1Lに対して6gまでの加糖したものも含める」(2003年10月2日記録)

現在登録されているカシャッサは、この法律に基づいて生産されているが、地域によってはさらに製造工程法などを厳格に定めているところもある。

カシャッサの製法

【カシャッサはサトウキビを原料とし、その絞り汁をそのまま発酵、蒸留して造られる。】

「カシャッサ・ヂ・インドゥストリアウ」は、サトウキビを機械で収穫、発酵には主に科学培養酵母が使われる。蒸留機は大量生産と味の安定性に適しているステンレス製連続式蒸留機(コラムスティル)が主流である。

「カシャッサ・ヂ・アルティサナウ」は、サトウキビは主に手刈りで収穫、発酵には米粉やトウモロコシなどから抽出した酵母を使用することが多い。蒸留機はより個性を引き出すことのできる単式蒸留機(ポットスティル)を使用する。

カシャッサの製法でユニークなのは熟成である。カシャッサの熟成には、主にアマゾンの原生林種や大西洋岸原生種などの特産木が使用され、その数は30種類以上も存在する。樽ごとの個性や特徴によって、様々な味わいのカシャッサが生まれる。

カシャッサの歴史

1532年、マルチン・アフォンゾ・デ・ソウザを隊長とするポルトガル探検隊が、今のサンパウロ州サントス港近辺のサンヴィセンチ(現在のサンパウロ郊外)という土地に大規模な入植を行った。その際、ポルトガルはマデイラ諸島からサトウキビの苗を持ち込みプランテー ションを設立。これがブラジルにおける製糖産業の始まりだと言われている。

カシャッサは、その敷地内にある製糖工場で働いていた黒人奴隷によって偶然に発見された。砂糖を生産する過程においてサトウキビの搾り汁を熱し、そのときに表面に上がってくる泡を放置していたところ、その泡が自然発酵しアルコールを含んだ液体となり、その液体を奴隷たちが口にしたところ気分が良くなった、つまり酔ったのだ。アルコールは過酷な労働を強いられていた奴隷にとっての活力として無くてはならないものとなった。このときの泡は「カガッサ(Cagasa)」と呼ばれており「カシャッサ」の語源になったという説がある。その後カシャッサは奴隷だけではなく奴隷以外の労働者や、管理する側の人間たちも飲むようになり広がっていった。

1600年代、砂糖は重要な輸出品とされ、アフリカ奴隷の需要が高まると同時に、カシャッサの生産量も増えていく。このころからブラジルのノルデスチ(北東部)にオランダが入植しさらに質が高い蒸留機が持ち込まれ、カシャッサの品質と需要が更に伸びていった。

1789年、ブラジル国内でポルトガルに対して独立運動が起きた。結果的に独立運動は失敗に終わるが、この時に掲げられた「独立の乾杯はポルトガルワインではなく、我々のカシャッサだ」というスローガンが民衆の心をつかみ、一般大衆に浸透していった。

1700年代、ミナス・ジェライス州のオウロプレットで金が発見されゴールドラッシュが起こる。ゴールドラッシュによりカシャッサの生産者も金の摂取に力を注ぎ砂糖工場への打撃も大きかったが、ブラジルへの入植者が増えブラジルの人口は倍増したことにより、結果、ブラジルでの国内マーケットが形成された。

カシャッサの今

一般大衆の中でカシャッサは愛飲され続け、1900年代後半に入ると再び需要が急増。
2012年には条例で、カシャッサがリオ・デ・ジャ ネイロ州の文化遺産に認定された。
近年ではブランドごとのイメージも大きく変化し、国際的な酒類イベントなどでも多く見られるようになってきた。
まだまだ輸出量は少ないものの、世界的に親しまれる酒へと成長してきている。